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本日はお日柄もよく [原田マハ]

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帯にもありましたが、確かに何度も泣きました。

これは登場人物が織り成すドラマに泣いた、

というよりも、やはり作中のスピーチに泣かされた

というべきなのでしょう。


「スピーチライター」

おそらく自分がその存在を知ったのは、

ジョン・F・ケネディの名言集が大好きでよく読んでいたころ、

これはライターが書いたものだと教えられたときです。

かなりのショックでしたね。

だってケネディの言葉だと信じていましたから。

まあ、やはりプロに任せたほうがいい、ということでしょう。


この作品では、スピーチライターの仕事ぶりも描かれていますが、

良いスピーチとは、話す人の人柄を知って初めてライターが

アドバイスできるものであって、ライターの書いた原稿を渡して

読んでもらうといったものではないのだ、ということを教えられます。


で、作中のスピーチに何度も泣くのですが・・・・。


ただ、このスピーチをこうして文字で読むのではなく、

誰かのスピーチとして聞いたら、ここまで泣けるだろうか?

と思うわけです。


同じ言葉でも、それを言う人によって、受け取り方が違ってしまいますから。

作中の社長や、立候補者のスピーチだから泣けるのです。

たとえば、誰か生身の政治家がこういうスピーチをしたとして、

感動するだろうか?



作品から離れてしまいますが、ここが文字と「スピーチ」という音声表現の

違いだと思うのです。

文字、つまり読むことは個人的な体験ですが、

「スピーチ」はその場の空気を共有することです。

それは「スピーチ」の内容に共感すると同時に、語る人への信頼も共有する、

ということです。

それが熱狂をよび、パワーを生むのです。


たとえばキング牧師が

「私には夢がある」と語り始めたときのように。



今、作中の言葉を使えば、

『まっすぐに』心に響く言葉を発することができる『人』がいるだろうか?


文字でしか感動できない、

個人的な感動しかない、

これは言葉が本来の意味の力を失ったことの証ではないのか。

などと思ったのでした。










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